自分の強みって何だろう?
自分の棚卸しをしてみることにした。
メンターのTさんから、自分の強みを知ることは大切と教わったからです。
学生時代の自分
小学生時代は、人見知りが激しかった。
家庭訪問時に、先生から「お宅のお子さんの声を聞いたことがない」とよく言われた。
ただ、本人としては別に気にしていたわけじゃなかったんだけどね。
環境になれると、みんなと大騒ぎするようになる。
絵とか作文とか好きだった気がします。
姉は良く出来る人で、親は勿論、親せきや近所の人からもいつも褒められる存在でした。
だから、「俺も見てよ」意識が強かった。良い子を装っていた気がします。
自分が高校受験の時、姉も就職で両親とも姉の方に行ったときは、ちょっとショックだった記憶がある。
高校時代は、もう音楽三昧でした。
1年の頃は、学年で30番以内には居たのに、卒業の頃は300番くらいでした。
親は、音楽に対して良い印象が無いかもしれません。
大学時代、大阪で過ごしました。
この4年間は、今の自分に大きく影響を与えていると思います。
居酒屋でバイトを始めましたが、その矢先、先輩から、「新地の店[クラブ」でピアノとベースを探しているから来い。」
と言われ、そのまま働くことになりました。
もう、授業には全く出ず、部活だけ参加してた。
4年で卒業したから、要領は良かったのかもしれません。
後がない時の集中力も強いと思います。
みんなに絶対無理と思われていた、レポート7本も3日徹夜で仕上げたこともあります。
もちろん、バイトは休んでいません。
この時学んだのは、
「いつかは親は死ぬんやで。自分の為に生きなあかん。」と言う言葉。
それまで、良い子を装ってきた自分でしたがこの言葉を言われガツンと言う感じでした。
最初は受け入れられなかったんですが、自分の力で生き抜くことが親孝行だと思っています。
また、当時可愛がってくれた財閥さんがいて、経済を勉強したいと言ったら”私は工学部でしたが”
「経済学者が世の中の金持ちか?経済の授業と世を動かしている経済は違う」と言われました。
新地での仕事は、最初は戸惑いました。居酒屋しか知らない学生が、突如夢の世界へといった感じです。
とにかく馴染めません。
ボーイさんですごく人気のある人がいました。私は演奏してましたが、まだ新米でうまくない
そこで、そのボーイさんのマネをするけど全くうけない・・・・。
もう辞めようと片意地貼らずにお客さんと話すと、「こいつ面白いやん」と言ってもらえた。
自分らしくすればいいんだと学びました。
大阪時代は、貧乏時代と水商売時代とありますが、「あら、大学の勉強が出てこない・・・」
どちらも、沢山学びました。
貧乏時代は、1カ月パンの耳で暮らしたりもしました。
でも、大阪と言う土地柄、その貧乏を自慢できます。「俺の方が、もっと貧乏やぞ!」と。
1カ月8,000円の4畳一間、風呂無し、トイレ共同、築40年。
鍵穴から、部屋がのぞけるくらいです。
普段は、鍵もかけません。取られるもの無いから。
たまに、知らない人がいたりします。
「○○君の友達で、ここで待っとけ」と言われたとか。
私の部屋から、隣の部屋に延長コードが延びていて、「悪い。電気止められたから」とか。
4畳に7人寝たこともありました。
でも、面白かったです。
そして、大阪の大学を卒業して、東京へとなります。
この続きはまたの機会に。
いつも読んでくれてありがとうございます。
明日もきっと良い日になる。
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